1977年の暴落を受けてクウェートが公式証券取引所の規制を厳格化した後、より大きなリスクを求めた投機家たちは、スーク・アル=マナーフへと移った。これは改装された駐車場で運営され、公式には上場できない湾岸企業の株式を取引する非公式市場だった。クウェートの商法では、小切手は券面に書かれた日付に関係なく呈示時に支払われることになっていたが、トレーダーたちはそれでも後日付小切手を使い、書かれた日付まで、時には1年先まで、非公式に保持することに合意していた。

こうした小切手はトレーダー間で一種の貨幣として流通し始め、投機家たちは将来の資金の約束を担保に、まだ支払えない株式を購入できるようになった。この仕組みには小切手の日付をどれだけ先に設定できるかの上限がなかったため、信用はどの貸し手も実際に把握している範囲をはるかに超えて拡大した。1982年5月から7月にかけて、原油価格の軟化と信頼の崩壊により、市場の指数は60%下落した。

この崩壊が公になったのは1982年8月、あるディーラーが若い公務員の後日付小切手を現金化しようとして不渡りになったときだった。1枚の小切手が不渡りになると、保有者たちは残りを一斉に現金化しようと殺到し、非公式信用の連鎖全体が一度に崩壊した。公式調査では、約6,000人の投資家が保有する未決済の無価値な小切手の価値はおよそ940億ドルと評価され、これはクウェートのGDPの4倍以上であり、9人の主要ディーラーがその3分の2を占めていた。

政府は1982年9月までに市場を閉鎖し、被害の解消に何年も費やした。小規模投資家向けの補償基金、銀行を支えるための預金、そして最大の債務不履行者向けの債務再編プログラムである。後者は1990年にイラクがクウェートに侵攻した時点でもまだ完了していなかった。

後日付小切手は満期に上限なく貨幣として流通したため、信用は拡大し続け、1枚の不渡り小切手が940億ドル相当の無価値な紙を露呈させた。それはクウェートのGDPの4倍だった。

非公式市場が投機家たちに、規制当局が承認していない株式を、手元の現金ではなく将来の支払いの約束で取引することを許した。

クウェートの後日付小切手の慣行には小切手の日付をどれだけ先に設定できるかの制限がなく、総エクスポージャーを把握する貸し手もいないまま信用は拡大し続けた。

小切手自体がトレーダー間で通貨として流通し始めたため、1件の債務不履行が連鎖の下流で紙を保有する全員に波及し得た。

ある従業員の不渡り小切手1枚で、システム全体の信用が実際の支払い能力をはるかに超えていたことが露呈するのに十分だった。

誰も上限を設けない支払い手段は、目に見えない信用市場になる。そして、1つの不渡りの約束が、その背後にあるすべての約束が等しく担保のないものだったことを明らかにする市場である。

政府はスーク・アル=マナーフを完全に解体し、それを教訓にクウェートの金融規制を再構築した。最大の債務不履行者たちの債務の解消には1980年代の大半を要し、1990年のイラク侵攻がそれを覆い隠した時点でもまだ解決していなかった。

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出典

  1. Souk Al-Manakh stock market crash — Wikipedia en.wikipedia.org
  2. The Tontine Coffee-House — 'The Great Kuwaiti Crash' tontinecoffeehouse.com