何が起きたか
田中丸家が1世紀以上にわたって経営してきた百貨店、佐世保玉屋が2026年1月31日に9階建ての本館を閉館し、佐世保市栄町の同地での106年にわたる営業に終止符を打った。この事業は1806年に佐賀で創業した呉服問屋に由来する。一族は1894年に佐世保に支店を開き、1920年にこれを百貨店「玉屋」に転換、1965年には現在の9階建てのランドマークを建設した。
閉館前、同店は長年にわたり縮小を続けていた。2010年代以降、耐震診断は繰り返し先送りされ、再開発計画も延期された。2023年12月には1階の食品売り場が地元スーパーのジョイフルサンに引き渡され、2024年7月にはほとんどのテナントに退去が通告された。2024年9月までに同店は1階のみでの営業となり、コンビニエンスストア程度の売り場面積でサンドイッチや化粧品、菓子を販売していた。常勤スタッフの大半はすでに退職するか退職を進めていた。
経営陣の撤退方針は二転三転した。2025年4月、同社は2025年6月30日に閉店し近隣で仮店舗を営業すると発表したが、同年6月18日には建設費の高騰を受けて栄湊再開発準備組合を解散し、この発表を撤回した。2025年12月には2026年1月31日での最終閉館を発表した。元従業員らは未払いの退職手当をめぐり同社を提訴していた。
最終日は人出でにぎわった。17時45分から入口でオペラが披露され、18時に閉店の鐘が鳴らされた。田中丸善甫会長は、一族が「数年で経営体力を失い、倫理的な問題を露呈した」と述べた。同店は2026年3月から万津町の関連会社玉屋商事の事務所での仮店舗で営業を続ける。本館は商業施設として建て替えられる予定である。
何を犠牲にしたか
2025年6月に費用高騰で解散した栄湊計画に賭け、代替案を残さなかった。9階建ての旗艦店は2026年1月31日に閉館した。
なぜ起きたか
頓挫した再開発への賭け:2021年に発足した栄湊計画は、建設費の高騰を受けて2025年6月に解散し、同店の存続計画も共に失われた。
決断せずに縮小を続けた:同店は9フロアから1フロアへと営業規模を縮小し、経営陣は閉店を発表しては撤回し、再発表することを繰り返し、従業員とテナントの信頼を損なった。
老朽化した建物には耐震上の不足があった:市は耐震診断を命じており、同社は改修義務の対象外にとどまるよう売り場面積を小さく抑え続けた。
教訓
店舗は市の再開発に救いを求めて待つことはできない。計画が頓挫したとき、佐世保玉屋には代替案がなく、旗艦店は1フロアずつ姿を消していった。
その後
佐世保玉屋の本館は、お別れのセレモニーの後、2026年1月31日に閉館した。同店は2026年3月、玉屋商事の万津町事務所で仮店舗として再開し、サンドイッチやギフト券を販売している。9階建ての跡地は商業ビルとして建て替えられる予定である。田中丸善甫会長は「数年で経営体力を失い、倫理的な問題を露呈した」と謝罪し、これは未払い退職手当をめぐる訴訟を意識した発言とみられる。姉妹店の長崎玉屋は2025年1月31日に閉館しており、建て替えられたグループ店舗はディスカウントスーパーとなっていた。
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