何が起きたか
インテルは1980年代にPC用マイクロプロセッサの主要メーカーだったが、法的に商標登録できない型番(8086、286、386、486)で製品を販売していた。消費者はインテルが何なのか全く知らなかった。彼らはコンパックやIBMから「386コンピュータ」を買ったのであり、「インテル・コンピュータ」を買ったのではなかった。部品は見えず、ブランドはPC業界の外では知られていなかった。インテルの本当の顧客はPCメーカーであり、エンドユーザーではなかった。
1989年までに、AMDは同じ「386」という名称で自社の386互換チップを合法的に販売していた。インテルのCEOアンディ・グローブは、消費者向けブランドがなければインテルに競争上の堀はないと悟った。386は誰のものでもない数字だった。インテルは消費者が名前で求めるブランドを創る必要があった。1991年、インテルは「Intel Inside」キャンペーンを開始した ― B2B部品メーカーによる前例のない消費者向けブランディングの取り組みだった。
このプログラムは巧妙だった。インテルはPCメーカーに対し、広告に「Intel Inside」ロゴを入れ、自社のコンピュータにステッカーを貼ることを条件に、プロセッサ原価の最大6%の協同広告リベートを提供した。インテルは最初の5年間でこのキャンペーンに15億ドル以上を費やした。これは史上最大のイングリーディエント・ブランディングの取り組みだった。デル、コンパック、IBMなどのPCメーカーはあらゆるものに「Intel Inside」を刻印し、事実上インテルの広告を無料で行った。
このキャンペーンはインテルを一変させた。数年以内にインテルは一般家庭に知られる名前になった。商標登録できない「586」に代わるものとして1993年に発売されたPentiumブランドは、世界で最も知られたプロセッサ名の一つとなった。1990年代末までに、インテルは世界で最も価値のあるブランドの一つになった。消費者から見えなかった企業が、PC業界で最も強力なブランドになった ― すべてはチップの型番が商標登録できなかったからだった。
かかったコスト
インテルは広告とコンピュータに「Intel Inside」を刻印させるため、PCメーカーにプロセッサ原価の最大6%を支払い、部品を求められるブランドに変えるために15億ドルを費やした。
なぜ起きたか
インテルは商標登録できない型番(386、486)でチップを販売していた ― AMDのような競合他社が同じ名称を合法的に使用でき、インテルの差別化を消し去った。
インテルには15年間消費者向けブランド戦略がなかった ― 同社はエンドユーザーではなくPCメーカーに売り込み、ブランドは業界の外では全く知られていなかった。
商標登録可能なチップ名の欠如がインテルにPentiumブランドとIntel Insideキャンペーンの創出を強いた ― 消費者向けマーケティングへの強制的な転換が同社を世界的ブランドに変えた。
教訓
インテルは15年間、自社のチップをコモディティとして扱った。チップの型番を商標登録できないという法的な不可能性が、インテルに消費者向けブランドの構築を強いた。そのブランドはチップ以上の価値を持つようになった。
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